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Cycling Africa〜DAY 5and6〜

公開日: : 最終更新日:2014/12/05

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ナミビアから南アフリカ共和国までの14日間1600kmの自転車旅の軌跡 Cycling Africa ~prologue~
2日目 Cycling Africa ~DAY 2~
3日目 Cycling Africa ~DAY 3~
4日目 Cycling Africa ~DAY 4~

目が覚めると車窓からの外景はもう明るかった。200km南下しただけなのに、見渡せば辺りはMarientalまでの道のりよりも更に荒野感を増しており、「日陰どころか木すらあまりない」という話は残念ながら強ち嘘でもないようだった。

Keetmanshoopは地図上でも割と大きな都市として記されており、中心街は高い建物こそないが、店々が連なり物に溢れていた。

多少不安だった預け荷も無事手元に届き、陽気な駅の職員のオジサン達と会話を楽しんだ後、今晩の宿を探し回った。流石に街中で野宿するのは気が引けるし、何よりそろそろベッドで寝ないと疲れが落ちない。何件か当たってようやく見つけたレイチェルズゲストハウスなる宿はナミビア物価的には安宿で、贅沢にもシングルルームにチェックインした。宿を切り盛りするお母さん(レイチェルさん)は気さくで親切な人で、実家のような雰囲気が居心地良かった。

この日は療養日兼装備充実日と決めていたので、惜しみなく肉を使いまくった久々の自炊を楽しみ、各々必要な物資調達に走り回った。僕は自転車修理屋を探したが見つからず、半ば途方に暮れていた。Rehobothでもらった応急処置は今の所問題はないようだったが、ここから先の長い道のりを考えると、やはりちゃんとした修理をしておきたかった。

思案顔で木材や工具を幅広く取り扱うホームセンターを物色していると、ふと目に入った物があった。何と呼べばいいのだろうか、また本来何に使うものなのか見当もつかないが、それは黒いゴム製の穴が開いたパーツだった。

もしかして…と思い折れた金具部分がそ筒の中に固定されるように自転車を弄ってみると、これが予想外にフィットするのだ。簡易修理と仕組みは一緒だが、遥かに強度がある。この時の嬉しさと言ったら、筆舌に尽くし難い。ミハラもミハラで小型のガスを見つけたらしく、宿の共用スペースで歓喜乱舞していた。僕らは、ハイテンションだった。

宿のベッドは寝るのが勿体ないほど最高の寝床環境だった。積み荷を載せ終わった後、なんとなく漫然と煙草をふかしていると、ミハラがワインとチーズを買ってきてくれた。この男、たまに粋なことをするのである。久しぶりのワインで頬をゆっくりと火照らせ、静かに夜が更けていく音に耳を澄ませた。

朝、案の定というか、2人揃って寝坊した。「ベッドが気持ちよすぎるせいだ、全く以てけしからん」とぷりぷりしながら自転車を漕ぎ始めると、驚くほどに自転車が軽く感じる。しっかりとした食事と睡眠をとるだけで体というのはここまで如実に回復するものなのか、と人体の神秘に感動を覚えた。

ここkeetmanshoopの街中は、道路が一本だけ通っているような村とは違い、そこそこに街の規模が大きいためどの道が国道に繋がっているか今ひとつ分かりにくい。手っ取り早く誰かに道を尋ねようとしていると、トラックに乗ったオッサンが途中まで案内してくれると言う。ゆっくりと先導するトラックに従い街外れに辿り着き、礼を述べ走り出した。

ミハラの荷物を結ぶ紐が解けてしまったので僕が先行。たった一日半ぶりなのに、随分と久しぶりにペダルを踏むような気がする。それ程に体はエネルギーで漲り、心がリフレッシュされ、青空は叫びだしたくなるほど気持ちよかった。嬉しい事に走り出してすぐ急な下り坂もあり、実に快調な走り出しである。

10kmほど新鮮な気分を堪能した頃、見慣れた質素な緑色の看板がようやく見えてきた。我々はいつも地図に指を這わせ距離を雑に概算しているので、実際のところ次の街までの正確な距離を知らない。「さあて今日は何キロだって漕いじゃうぞ~」と意気揚々と看板に近づくと、『Goageb 100』と書いてある。Goagebとは随分と聞き覚えのない名だ。それもそのはずで、よくよく看板を見たところ『B4』と書いてあるではないか。

僕らが進んできた、そして進むべき、また進んでいると思っている道は『B1』である。2も3も飛ばしいきなりB4などという聞き覚えのない道路名が看板に書かれているなんて、悪戯にしてはセンスがない。そんなことを思いながら地図を取り出して唖然とした。B4は確かに実在する道なのだ。ただ、それは真西に伸びる大西洋へと続く国道だった…。

「…やられた」、瞬時にそう思った。調子がいいなどと浮かれていたツケなのだろうか、道を間違えていたようだ。往復20km、時間にして1時間強のロス。Keetmanshoopに再び戻るのは昼頃になるだろう。そう考えると貴重な午前中の中でも更に貴重な「絶好調」の午前中が台無し、である。これには流石に笑うしか無かった。

 

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荒野の真ん中、独りぼっちでひとしきり笑い終えると、今度はしきりに腹が立ってきた。「後悔先に立たず」とは良く言ったもので、後に立つのは腹ばかりである。誰のミスかは自明であるが、立つものは立つのだから仕様がない。

ぷりぷりしながら気持ちよく走ってきた道を戻り始めると、前方からまだ自分がB1にいると思い込んでいるバカがやってきた。

「ミハラさーん、悪いニュースがひとつ。僕らこの道B1だと思って走ってたじゃないですか?」

「…走ってましたよ?(笑)」

「これ、B4です(笑)西にいくやつ(笑)」

「(苦笑)…ええええええええええ!!!!(苦笑)」

このままいっそ西側の次の町へ向かいそこから南下するルートを考慮したが、どうやら唯一の道が国立公園内の砂利道のようで断念した。同じ道を戻る、というのはバスですら気が進まない。況や自転車をや、だが他に方法がないのだから仕方がない。

呪いの言葉を口々に、路傍から自転車を道路へ押し上げたその瞬間、ミハラのチャリがパンクした…。神様はいささか茶目っ気が過ぎるようである。

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再びKeetmanshoopに辿り着くや否や、腹の虫が四重奏を奏で始めた。人間、落ち込んでいる時にでも腹だけは減るもので、なんだか実に燃費が悪い。「人の体は不便でしょうがない」などと何処ぞの漫画のキャラクターのような台詞を路上に吐き捨てながら、2人前のフライドチキンを頬張った。

心はまだ十代でこれから先にも明るい未来が待ち受けているに違いない我々は、ナミビアの荒野なんぞに骨を埋める気は毛頭ない。ツタンカーメンもかくやといった具合に乾涸びてしまいそうな昼過ぎの時間帯は、レストラン前の道路で休憩をとることにした。

1時間、いや2時間ほどだろうか。気持ちのよい仮眠を終え目を覚ますと、これまたスタイリッシュなナミビアン黒人女性が目の前に立っていた。寝ぼけ眼をこする夢現な僕は、半ば無理矢理引っぱられるような形で2軒隣の美容室へと連れて行かれた。彼女はここの美容師で、どうやら僕のだらしなく伸びきった髪をいじりたいらしい。

真っ昼間から道路脇で眠るさながら浮浪者のような僕に声をかけるなど、変わった美容師、いや、暇な美容師もいたものだ。全部タダだと言うし、どうせ30分くらいだろうと高を括ってお邪魔することにしたが、シャンプー・リンス・トリートメントに始まり、パーマをかけ、その後何故か再びストレートに戻すという謎のフルコースは、裕に2時間を要した。

ミハラが「ただでさえ時間なくて『巻き』で行かなきゃいけねーのに、髪の毛巻いてる場合じゃないっつーの」などとウマいことを言っていた。

夕刻前、石橋を叩き壊す勢いで慎重に慎重を重ね、ようやくB1を走り出した。10kmも走ると随分と殺風景な大地が広がり、人が手をかけた物は道路以外に見当たらない景色が続いた。ピラミッドのような形をした遠くの岩を眺めながらペダルを漕いでいると、嬉しい誤算がやってきた。下り坂、だ。緩やかな勾配の下り坂が、途中多少の登りも含めると、10km近く続いた。

こんなささやかな下りでも自転車を加速させるには十分で、普段の1.5倍の風を全身に受けていると、つい歌なんか口ずさんでしまう。波乱で始まった一日であったが、最終的には「今日も実にイイ日であった」と思ってしまう。不思議な予定調和が働き、つじつまを合わせながら僕らはナミビアで生きていた。

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薄暗くなり始めたので、この日は休憩所で野宿することにした。夜中に誰かが来る可能性も高いが、木陰がまるで見当たらないこの辺ならば何処で寝ても変わらないだろう、という判断だった。ちなみに、ミハラはテントの中、片手にナイフを握って用心しながら寝ていたらしい。

Keetmanshoopで相棒が手に入れた協力な武器・小型ガス。この夜はその威力をとくと味わった。今まで主食として「食べる」というよりは「摂取」していた味気ない缶詰フードたちが、ただ「加熱」という一手間を経ただけでこれほどまでにカラフルで味わい深い物に進化するとは、文明とは途轍もない。思わずアドリブで「読者からの質問コーナー」なる完全に設定上の短編動画を二話連続で撮ってしまった程、テンションが高まっていた。

食後に熱い紅茶を淹れ、徐々に赤を増してゆく西の地平線を、ただ静かに眺めた。東の空から訪れた夜の暗闇に全天が覆われても、そこだけは不思議な静寂を保ち燃え続けていた。

トラックが轟音をたてながら時折道路を横切る音と、羊が草を食む音以外には何も聞こえない、そんな耳が痛くなるほどの無音の宵は、幾分か人を感傷的な気分にさせる。朝日と共に走り出し、日暮れを合図に床につく。シンプルすぎるほど単調なその生活は、予想していたよりもずっとずっとずっとキツかったが、何処か心地よい安心感を抱かせるものだった。歓びも怒りも悲しみも雑多の感情までもが今までより際立って感じられ、線を引くように走ってきた道のりでの思い出は思わず目を細めるほど色鮮やかに輝いていた。

この夜は自転車生活中で一番美しい夜だったと、胸を張って断言できる。昼間あれほど鮮やかだった青は今や全てを飲み込む黒に変わり、全天の巨大な空には地平線に至る端々まで、瞬くことを止めない星々がちりばめられていた。

「今僕は生きている」、そんな生々しい実感が悦びを伴って体の隅々まで行き渡り、言い用の無い充実感で心は満ち足りていた。それは間違いなく「幸せ」というあやふやな抽象概念の一つの形だった。

夜は幾分か冷え込み始めたが、腹の底がほくほくと温かいような、そんな夢心地で布に包まった。視界に収まり切らぬ程広大な黒い海で縦横無尽に泳ぐ流れ星を4つ数えたところで、僕は眠りに落ちた。

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